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2005.03.24

いよいよ

・・・というタイトルだと、「センバツが開幕した」のか「イラン戦だ!」なのか「愛・地球博ですなぁ」なのか「パリーグも始まるねぇ」なのか、さっぱりわからん。
ところで、モリゾーとキッコロはボーグに同化されたらしいですが、明日から大丈夫なんでしょうか。

ではまずイラン戦の話から。
10万人収容のスタジアムでのアウエイ戦だが、アジアカップ決勝でも似たような(ある意味ではもっときつい)状況を経験してきているので、雰囲気に気圧されて云々・・・ということはあんまりないのでは、と思う。
それよりも、相手が強いですから。単に実力で圧倒される可能性の方が強い。マハダビキアも調子がよいようだ。
初戦を何とか勝った日本と、思わぬ引き分けで出足を挫かれたイランとでは、この試合にかけるウエイトも違う。負けてよいとは言わないが、ドローで終われればそれはそれでよしだろう。
ジッコが「勝ち点12取ればドイツに行ける」と言っていたらしいが、場合によっては勝ち点10でも行けるかも知れないし、悪くともプレイオフには持ち込めるような気はする。もし10でよいなら、あと7つ。ホームで2つ勝って、明日引き分ければそれでよいのである。まぁホームが一番心配なのではあるが・・・(^_^;)

次に万博の話。
愛知に誘致していた頃は、会場の造成などで自然環境、生態系が破壊される、と反対運動も盛んだったようなおぼろげな記憶があるが、それが環境万博になってしまうというところは何だかすごいねぇ、と言うべきか、マジですか、と言うべきか、とにかくボキャブラリーがプアになっていかん。
会社でも割引チケットの販売、やってました。悩んだけど買わなかった。行けるかどうかわからんし。でも行ける機会があれば行きたい。

万博と言えば、やはり1970年のこんにちわ、である。自宅から徒歩15分(小学2年生だったので、幾分小走りを含む)のところでやっていたので、近所の公園に行く感覚で通ったものである(それでも合計10回しか通えなかったけれど)
何しろ7歳とか8歳の頃である。今なら鉄鋼館に入り浸りだろうなぁ、と思うのだが、とにかく子供の目には「フジパンロボット館」とか「住友童話館」とか「三菱未来館」とか「三和みどり館」とか、そういうところが魅力的であったし、ピンバッジやステッカー(少年たちは「バッチとシール」と呼んでいたものだが)の蒐集に血道をあげてしまったりもしていたので、そういうのをくれるパビリオンはとにかくよく通ったものである。

今になって、あるいは万博が終わってしばらくしてから、オトナたちは「あの万博は何だったのだ」「祭りは祭り、現実は現実、さぁ仕事に戻ろう」「あれを反面教師として学ばねばならない」などとネガティブに語ることが多かったりするのだが、近所に住んでいた子供にとっては、今でもあの万博は永遠のファンタジーなのである。

大学時代、東京にいたこともあって、つくば科学博も一度行った。遠いような、それほどでもないような、微妙な距離だったが、今は随分便利になったようですなぁ。
高校の時の友人と一緒に行った記憶があるが、どうしても大阪万博と比べてしまうと物足りない。幼い日に、地元で開催されたものと、20歳過ぎて馴染みのない土地で見るものとでは、自ずと見え方が違ってしまって当然なのだが。

花と緑の博覧会、通称「花博」は、仕事で一度行った。両親は回数券というか定期券というか、そういうようなものを買って、何度となく通っていたようである。その翌年に世を去った父にとっては、最後の楽しかった日々だったろうと思う。それは母にとっても、だが。
仕事で、というのは、当時新聞社の人事部にいた私が、大阪本社配属の新人記者たちを連れて、時間を決めて彼らを会場内で放し飼いにし、いろいろと自分なりに取材をして記事を書け、という課題をやらせるためである。引率者は最初と最後だけ仕事をすれば後は用はないので、気楽なものであった。

新聞社というと、そこが主催していたのがセンバツである。その関係で、今度は大阪本社採用の高卒新人たちを連れて、センバツの開会式を「腕章をして関係者席で観る」、という「仕事」もあった。

何にせよ、「いよいよ」という気分の高まる春なのである。

2005 03 24 11:28 PM [etc., Football, StarTrek] | 固定リンク

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