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2010.02.28

初ジュリアンの記

ジュリアンと言っても、鯖乃海は関係ない…はず。

合唱団のピアノの市川先生が、高校の同級生のばよりんの方とライブをされるというので、職場を限りなく定時に近いタイミングで飛び出し、北新地~尼崎~三ノ宮と移動し、開演前に何とかピアジュリアン到着。
ryu-ryuさんに手招きされて隣の席に。

聴きに行ったライヴは内藤ルミ子さんと市川奈巳先生のデュオ。
内藤さんは宝塚歌劇団オーケストラに在籍されていたことがあるそうである。
お二人は神戸高校の同級生で、その関係もあって、神戸高校方面のお客さんが大半を占めていたような印象を受けた。

席についてから、「そうだ、キルティングのジャケットをかけておこう」と、入口近くにジャケットをかけに行ったら、ちょんちょん・・・と肩をつつかれた。
振り返ると、おそでやぁ・・・

・・・ではなく、市川先生であった(^_^;)
「あ、楽しみにしてます。わーい」

で、床柱を背にドーン・・・

・・・ではなく、席に戻って南アフリカの赤ワインをちびちびやりつつ開演を待つ。
Pap_0538

第一部のプログラムはこんな感じ(結構うろ覚え。間違いがあればご指摘を・・・)

ドルドラ 思い出
エルガー 愛のあいさつ
ヘンデル ソナタ
レスピーギ ヴァイオリンソナタ ロ短調より第一楽章
モンティ チャールダッシュ

市川先生のピアノは安定してるなぁ(^_^)
でも内藤さん、さすがにうまい。
それぞれに彩りの全くことなる曲目を、見事に演じ分けておられる。
中でもレスピーギは逸品。
ryu-ryuさんに、「今日帰ったらかなりマズイですわ。絶対iTSでレスピーギを探してダウンロードしてると思う・・・」と語ったが、事実その通りになった(^_^;)

中休憩でピッツァ・マルゲリータとワインのおかわりを注文。
ワイン、なかなかおいしかったのでボトルで頼めばよかったかも(^_^;)
途中で市川先生が席まで来られる。
ryu-ryuさんのお隣で和服をお召しになっていたのは市川先生のお母様であった。

第二部はこんな感じ。

ドビュシィ 月の光(市川さんソロ)
マスネ タイスの瞑想曲
ラヴェル ハバネラ形式の小品
シューマン ヴァイオリンソナタ第1番
佐藤允彦 ショーロ・インディゴ(ちょっとうろ覚え。別の曲だったかも)

まず市川先生が独りで現れ、おもむろに月の光で開演。
ワタシはトンプソン編の簡略版でしかこの曲を弾いたことはないが(^_^;)、改めて聴くと、様々な創意と工夫に満ちた曲だなぁ、と思う。

第二部のメインはシューマン。
今年生誕200周年ということで、あちこちで演奏の機会に恵まれそうだが、晩年に近い頃に作られたヴァイオリンソナタにももっと光が当たってほしいものである。
個人的には第2番の方が好きなんだが、第1番も実にシューマンらしい、そしてこの頃のシューマンの精神状態を映した、何ともユニークな作品であると思う。

こういう曲を選ばれたところに大変な意欲を感じたし、その思いが伝わってくる演奏だった。聴く方もすごく力が入った。

アンコール

ピアソラ リベルタンゴ
ドルドラ 思い出

アンゴールは内藤さんのピッツィカートで始まり、その音とリズムですぐにリベルタンゴだとわかってしまった(^_^;)
これは内藤さんの趣味なのか、二人の好みなのか、モンティとか古澤巌とかピアソラとか、結構「濃ゆい」曲がいい塩梅で、楽しく聴けた(^_^)
最後は「遅れて来られた方もおられるので」と第一部の最初にやったドルドラを再演。まぁそういう曲でもあるし、うれしい心遣いであろう。

終わってからまた回ってこられた市川先生に「シューマン好きなんです。よかったです」とお伝えして、「また金曜日に」「次はメンデルスゾーンで」と挨拶を交わして店を後にする。

帰りの電車の車内で、余韻を楽しむかのように、クレーメル&アルゲリッチによるシューマンを聴いていたのは内緒である。

初ピアジュリアンの印象としては

・窓からの借景がOPAで、すごいけどちょっと残念(^_^;)
・意外と広い
・グランドピアノがちっちゃいけど、却ってよいバランス
・響きはまぁまぁ
・お酒の種類が結構いろいろあって楽しい
・料理はワタシにはちょっと少なめ(^_^;)

しかし、ロケーションと言い、雰囲気と言い、こんな店が近くにあったら、金がかかってしゃあないな、と思う(^_^;)
これでもっと気軽に立ち寄れるところにあったら、通いつめますよ。
まぁこの日は土曜日で、定時ピッタリに出れたので間に合ったけど。
神戸方面の方々がうらやましい・・・(^_^)

2010 02 28 10:11 PM [日記・コラム・つぶやき, 音楽, 飲食] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

ちれ

半世紀前の津波のときの地震はM9.5だった、というから、さぞや津波も・・・ということであるが、潮の干満や地形も大きなファクターなので、今回も予断を許さない、というのは当然のことだろう。

津波は波長が長い(普通の波なら長くても150mぐらいなのに対して、巨大津波は100kmを超すこともある)ので、たとえ1mの波高でも、まともにくらうと大変なことになる。一気に洪水が押し寄せてくるのと同じことである。
2mぐらいの波高の津波の場合、大海原にいても大して被害はないのに対して、沿岸部、特に海港(つまり「津」)での被害が甚大になるので「津波」というようになったそうである。

よく知られているように、国際的にも「Tsunami」で通用する。
大食いチャンピオンの小林尊氏も「Tsunami」と呼ばれている(^_^;)
人智を超えた存在・・・みたいなもんであろう。

国内では1896年の明治三陸沖地震津波で38.2mという波高が記録されている。
この地震は震度では2~3程度だったが、実際にはM8.5程度と推測されていて、三陸のリアス式海岸の奥の方で、とてつもない波高になったとのことである。
綾里湾の奥では、津波が湾内の小島の標高38.2mの峠を越えてきたので、一応38.2mとされているが、田野畑村の標高50mほどの民家にも津波が押し寄せた、という証言があるので、波高が50mを超えていた可能性も指摘されている(遡上によるものの可能性もあるが)

1993年の北海道南西沖地震では初松前地区で波高16.8mを記録した、とされる。このときも遡上高が30.6mに達した地点があったそうである。

2004年のスマトラ沖地震でも地形により34mの波高が記録されている。
1960年の(前回の)チリ地震でもチリ沿岸では20mとのこと。
「目にしたものは死あるのみ」・・・に近いよなぁ、こうなると。
蒼龍天羅か(^_^;)

津波は川も遡上するので、内陸であっても油断はできない。
もともとは存在していた鎌倉大仏の大仏殿が流されたのは、室町時代の地震による津波のせいである、とも言われている(諸説あるそうだが)
今回も千葉の鴨川を遡上しているニュース映像が見られた。

一方、地震が原因ではなく、岩石の崩落によるものとは言え、アラスカのリツヤ湾では520mという桁外れのものがあって、これが現在のところ世界記録である。
ここは氷河に浸食された地形ということもあって、しばしばこういう巨大な「しぶき」が上がるポイントとして知られているそうな。

これが例えば6500万年前にユカタン半島に衝突した巨大隕石(直径10kmとも言われる)となると、津波の波高は数千mという話である。
こういうのは1億年に1回ぐらいは起こっているらしい。
こういうのが起きると、生物の種の絶滅や生態系の激変が起きる。
恐竜の絶滅の原因の一つともされているが、結論が出ている訳ではない。

地球の歴史で、過去8回ぐらいは起きているのでは、と推測されているのが「地殻津波」
こちらは直径400kmクラスの超巨大隕石が、時速数万kmで地球に衝突することで発生する。
「津波」と言っているが、実際には地殻がめくれあがって、一部は宇宙空間に放出されてしまう。そのめくれあがり方が(スケールなどはともかく)津波に似ている、ということで「地殻津波」と呼ばれるワケである。
このときは、地表面の温度は6000度にもなり、岩石が融解・気化して1500度の蒸気になり、海の水は分速5cmで蒸発していき、やがて全蒸発。
その後徐々に冷却して数千年は雨が降り続ける・・・という(^_^;)

このクラスになると、地球上に、現在につながる生命が生まれて以降は起きていないと思うのだけど、そんなことを見てきたように語れるほど面の皮は厚くないワタシである。

さて、ニュースでもそうだし、ワタシも上で「チリ」と書いているけど、"Chile"は現地読みなら「チレ」である。
Wikipediaを引用すると
República de Chile (レプブリカ・デ・チレ)。通称 Chile (チレ)。
ということになる。

もっとも、その語源は現地先住民の言語ケチュア語などである、とも言われ、「チリは変でしょ。絶対チレでしょ」と言い張れるほどの度胸もワタシにはない(^_^;)
でもまぁ一応フットボール方面で話題にするときには「チレ」と表記する習わしである(他は「アルヘンティナ」とか「ブラジウ」とか「メヒコ」とか「エーラ」とか「エラス」とかかしら。まぁ趣味の領域ですが)

2010 02 28 03:34 PM [etc., ことば, 宇宙, 日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2010.02.25

全くの別会社

穴吹工務店のときもそうだったけど、今回のせんば自由軒自己破産にあたってもやはり出てきたのが、残った方の常套句となっている「全くの別会社」である。

ヒロタのときもそうだったろうか(洋菓子のヒロタと大阪ヒロタ)。こっちはどっちも一度は破綻しているけれど。

王将、というのもあるな。「餃子の王将(京都王将)」と「大阪王将」
一族仲良く・・・というのは、商売の世界では難しいのかな(^_^;)

血がつながってるだけに却って泥沼化する、というのはあるかも知れない。
そういや「一澤帆布問題」ってのもありましたな(^_^;)

ということで、残念なことだが、せんば自由軒を経営していた株式会社自由軒が自己破産したようである。残った「本家」の方も「株式会社自由軒」という社名なのでややこしいのだが・・・

よく知られているように、「せんば自由軒」は、この難波に本拠を置く本家「自由軒」からのれん分けで生まれた店であり、会社である。

「せんば」側からは本家との関係について、遠慮がちながら「以前は交流があった」「本町に店ができたとき、本家からはちゃんと花輪が送られてきた」みたいな感じで、決して悪い関係じゃないのよ、的なことが書かれているが、本家側は・・・(^_^;)

曰く「当店とは全く関係のない店舗」「当社とは全く別の会社」

何があったかは当事者しかわからない部分もあるだろうけど、敵意むきだしな感じ。
分家側が窮地に陥っている中、「本町だけ出店を許したのに、無断であちこち店出しおってからに・・・あんなとこ、うちとは関係おまへん。勝手につぶれてもろて結構。うちは健全経営ですねん。間違わんといてや」と言いたげなこの書きっぷりには、単に分家側に仁義を欠く振る舞いがあっただけ、という感じでもないように思えるのだが(^_^;)

船場センタービル内の本店など一部店舗は、今後も営業は続いていく(別の会社に営業譲渡済み)そうなので、そのうちえみりんを連れて行く、という約束は、辛うじて果たせるかな、というところである(^_^;)
まぁなくなったら千日前の本家に連れてけばよいだけの話だが。

2010 02 25 11:31 PM [(-_-;), 意味不明・たわごと, 日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2010.02.23

お尻を出した子一等賞

・・・な訳はないよなぁ、と思いながら、アイスダンスを眺める。
それ言ったら、殆ど全部のペアが一等賞だ。

さて、なんか日曜のシンフォニカに触発されたのかどうかわからないが、突然マーラー襦袢熱が沸き起こり、昨夜はiTSであれやこれやと探索してしまう。

2000曲まで検索したところで力尽きたので、実際にどれぐらいマーラーの作品がiTSに収録されているのかわからないが、10番全曲版に関しては、それほどたくさんの選択肢がある、という訳ではなさそうだ。
しかも、その多くはクック第3稿なのだが、リットン=ダラス響のカーペンター版とか、バルシャイ=ユンゲ・ドイチェ・フィルのバルシャイ版なんかも見つけることができた。

ご多分に洩れず、ウィン・モリス=ニューフィルハーモニア管でこの作品を初めて知ったワタシであるが、実際にディスクを購入したのはレヴァイン=フィラデルフィア管(これはLPで)とシャイイ=ベルリン放送響(こちらはCDで)ぐらいなので、今回はお買い得なラトル盤を2種ダウンロード。
ボーンマス響(クック第3稿第1版)、ベルリンフィル(クック第3稿第2版)である。バーミンガム市響とのライヴCD-Rというのもあるそうだが、それはさすがに見当たらない(^_^;)

バルシャイ盤はちょっと怖いもの聴きたさでダウンロードしてみようかと思っているが、それより何より、ハーディングがあったかどうか、もう一度検索してみないと・・・

2010 02 23 11:58 PM [music with iPod, Sports, 音楽] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2010.02.16

Road to Kinshicho

金鵄鳥・・・なんじゃそりゃ。

日曜の江戸下向、ひとまずエクスプレス予約完了。
前日夜に某所で某師匠と某返却の儀が執り行われるため、あまり早い時間帯ののぞみはパスだな・・・と思って、結局EX-IC早得もあるので、ひかりを使うことになった。

こうなると、帰りもEX-IC早得かな・・・ということで、帰りもひかり。
江戸滞在時間は5時間ほどということになる。
マラ9が3時間も4時間もかかることはないと思うし、カルウォーヴィチも大体どれぐらいかかるのかは一応予習済み。
アンコールでブルックナーのシンフォニーを1曲丸ごとやられても、きっと大丈夫だ。

トリフォニーの場所も、東京駅からの所要時間も、昨年11月のえみりん独鎮で予習済みである。う~む、完璧だな、オレ。

・・・世の中に「絶対」と「完璧」なんて、ないけれど。

2010 02 16 11:44 PM [, 日記・コラム・つぶやき, 音楽] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2010.02.14

糸谷哲郎がやってしまうかもしれないこと

本日のNHK杯は糸谷哲郎五段vs森内俊之九段の対戦。

糸谷五段が強いのは既に周知のとおり。
現在21歳だが、2006年にプロデビューして、いきなりその年度の新人王戦で優勝。
順位戦C2在籍の五段なのに、デビュー後既に今回が3回目のNHK杯戦本戦出場ってとこもすごい。なかなか出れないですから。
不敵な面構え、早見え早指し、そして村山、山崎、片上などと同じ森信雄門下で、抜群の終盤力の持ち主・・・と、今後の活躍が大変期待されている新鋭である。

糸谷五段は今期のNHK杯戦本戦でも2回戦で谷川九段を破っている。
十六世永世名人の資格を持つ谷川九段を破り、今日は十七世永世名人の資格を持つ森内九段と対戦・・・そして、今日もその終盤力を生かして逆転勝利!
永世名人資格保有者2名を撃破しての準決勝進出。

次の相手は永世竜王資格保有者である渡辺明竜王である。
渡辺竜王も竜王戦七番勝負で森内九段相手に四タテを食らわし、来期の順位戦A級昇級も決めており、好調を維持している。
容易な相手ではない(まぁ本戦なんだから当然だが)けれど、もしここで渡辺竜王に勝って決勝進出でもしたら「事件」である。

そして、もしも羽生名人が準々決勝、準決勝を勝ち上がってきて、糸谷vs羽生の決勝になって、ここでも糸谷五段が勝って優勝してしまったら・・・

永世名人3人と永世竜王1人を破っての優勝ということになる。

これは1988年度のNHK杯戦で、当時の羽生五段が成し遂げた「永世名人2人(大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人)、名人経験者2名(加藤一二三九段、谷川浩司九段)を破っての優勝」に匹敵する、ないしは凌駕する快挙である。

糸谷の兄弟子である山崎七段(羽生名人の準々決勝の対戦相手)には頑張ってほしい、とは思うものの、そんな快挙が起こりうるのだとしたら・・・ちょっと複雑(^_^;)

・・・なんて書いてたら、案外ノーマークの丸山九段とか三浦八段が優勝したりして(^_^;)

2010 02 14 01:23 PM [将棋] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2010.02.13

関西合唱ワークショップ終了

12時14分に伊丹駅に到着し、そこからいたみホールまで徒歩。
駅前でセンチュリーのベースの方と一緒になる。

今日のワークショップは2部構成で、1部(13:00~16:00)は3人の指揮者、2部(16:00~19:00)は2人の指揮者がそれぞれ異なる会場で指導にあたり、2時間で演目を仕上げて、休憩を挟んで1時間ほどで発表となる。

1部担当の指揮者は梶田慶太さん、横田清文さん、そして我らが松元佐和子の3人。
2部担当は上西一郎さん、山口英樹さん。

梶田さんの出し物はアニソンメドレー「僕たちの宝島を見つけに!」
横田さんは信長さんの「思い出すために」とペルトの「ソルフェッジョ」
松元っちゃんは木下牧子さんの「光はここに」から「この闇のなかで」「アダジオ」(アンコールで「鴎」。11月のいずみホール演奏会とおんなじパターン(^_^;))

松元チームは大ホールのステージを使って練習。
約100人で、男女比25:75ぐらい(^_^;)
男声の大半はセンチュリーのメンバーであった(^_^;)

発表はまぁあんなもんでしょう。2時間でやったにしては上出来かな。
梶田チーム、横田チームもそれぞれに工夫が見られた。ペルトが面白い曲。

2部は参加せずに、ryu-ryuさんとテナーのM山さんとで「長寿蔵」へ。
3人でさんざん飲み食いし、マジシャンの手品もタンノウし(^_^;)、前のショップで奈良漬けをお土産に買って、JR伊丹駅に行き、そのまま帰宅。

明日も同じ会場で「第1回関西混声合唱フェスティバル」だそうである。
でも明日は休養日だなぁ・・・

2010 02 13 10:30 PM [Chorus, 日記・コラム・つぶやき, 飲食] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2010.02.06

ジャンヌ/浅田飴

昨日の「火刑台上のジャンヌ・ダルク」の話の続きだが、どうも聴いていると、ネイティヴの方の発音が、「シャンヌ」とか「チャンヌ」に近い感じに聴こえる。
「シャ」と「チャ」の中間で、ちょっと濁ってる、という感じ。
「シ゜ャンヌ」と表記してみたいところ。

さて、「南天のど飴」がなくなったので、今度は「せきこえのどに」の「浅田飴」を購入。
ところが、缶に書いてあるのは「せき・のど・たんに」である。
永六輔も遠くになりにけり・・・ってほどでもないか。

職場の女子に「浅田飴ってなんで浅田飴なんですかねぇ」と訊かれて答えられず、思わず話を「南天のど飴」からストーカー社長の話に持っていってケムに巻くことに成功した(つもり~)

で、「浅田飴」の由来であるが・・・
何しろ会社名からして「株式会社浅田飴」、創業家が浅田家であるとか、浅田地方(どこ?)の伝統的製法による飴であるとか、なんかそういうようなことかな、と思ったら、さにあらず。

宮内省の侍医であった浅田宗伯さんが処方したので「浅田飴」なんだそうな。
そもそも「株式会社浅田飴」になる前は創業者の名前をとって「堀内伊太郎商店」だったワケで、どこが浅田家やねん、何が浅田地方やねん、という次第である。

で、この創業者・堀内伊太郎の三男が、音楽之友社を設立したり、作曲家、作詞家、音楽評論家として活躍した堀内敬三その人である。
堀内敬三というと「若き血」の作詞・作曲が有名である。
この曲に対抗して「紺碧の空」が作られたが、こちらはシューベルト作曲(ではなくて古関裕而作曲、作詞は住治男)

それはともかく、「浅田飴」は「南天のど飴」より少し小振り。
但し、「南天のど飴」は1缶に33個入りだが、「浅田飴」は50個入り。缶自体も「浅田飴」の方が一回り大きい。

もう一つの大きな違い。
「浅田飴」は第2類医薬品であるが、「南天のど飴」は第3類医薬品である。

2010 02 06 10:56 PM [etc., ことば] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2010.02.05

ジャンヌ・ダルク

今日は大阪センチュリー交響楽団の設立20周年記念演奏会第二弾で、オネゲルの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」を鑑賞。
(ちなみに第一弾は昨年末のワタシも出演した第九)

18:30まで定時のワタシ、職場を出たのは18:40で、殆ど各階停止のエレベーターにシビレを切らしつつ、1階に降りると、四ツ橋筋を渡って、客待ち中のタクシーに乗車。
ザ・シンフォニーホールには18:50頃到着。素敵(^_^)

クロークにコートとマフラーを預けて、1階の指定された席に着座したのは多分18:57~8ぐらいかと思われる。ただ、それからパンフレットにザッと目を通す(読んではいない)余裕があったので、開演は5分ぐらい押していたかな。
すぐ近くにテナーのパートマネージャーさんもおられた(^_^)

休憩の入る間のない曲なので、約70分ぶっ通し、なのであるが、実に見事な演奏で、何というか、終曲では涙が流れるかと思った(多分に加齢に伴って涙腺の締まりが悪くなってきている点は考慮が必要だが)

事前にセルジュ・ボドのCDで予習はしていたが、音だけだと聴き通すのがかなりしんどい曲なのだが(それでもやっぱり名曲だとは思うが)、実演ではその「しんどい」部分で心を揺さぶられる。
ジャンヌ役の声音がちょうどイメージしていたものとほぼイコールで、歌のぎこちなさ(この役は俳優が演じる)も却って好もしい。

そうそう、ワタシにとっては初「生オンド・マルトノ」でもあった(もちろん原田節さん)
時折ハッとさせられるサックスの響きも効果的。
そしてオペラハウス合唱団・・・やっぱりうまいなぁ・・・(^o^)
岸和田市少年少女合唱団の冷静な(^_^;)歌声も実に印象に残った。

沼尻さんの指揮、この難曲を実に巧みに捌いてみせたなぁ、と思う。
ああ、うまい指揮者だなぁ、と・・・
いろんな意味で・・・

それにしてもカーテンコール、かなり長かった・・・
少年少女たちがハケるまで拍手続いてたし(^_^)

演奏会後、ロビーにセンチュリー合唱団の面々が集結。
ワタシが見た限りでは12~3人ぐらいはおられたようだが、多分もっと来られていたのではないかな。練習のときもかなりチケットは売れていたので(^_^;)
本山先生や松尾先生の出待ちに回った人たちもいたのかも知れない。

一部メンバーでJR福島駅近くの居酒屋で軽く食事をして23時前に帰宅。
ともあれ、演奏会の間、咳き込むことがなくてよかった(^_^;)
そんな心配を忘れさせてくれるだけの演奏会でもあったが。

2010 02 05 11:54 PM [日記・コラム・つぶやき, 音楽] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック