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2011.05.16

ご報告を・・・

しなければなぁ、と思いつつ、今頃になりました。

一部の方にはお知らせいたしましたが、去る5月14日、母が息を引き取りました。
同日夜に通夜、日曜日に葬儀を終えました。

先に前日、当日のことを書いておきます。

前日、5月13日、偶然その日は休みを入れていたのですが、朝8時に自宅の電話が鳴りました。病院からでした。血圧がかなり下がってきているという話。
「いつ来れますか?」と言われたので、一時間後、9時には・・・と答えて、準備をします。一刻を争う状況なら「すぐ来てください」でしょうから、まだそこまで切迫していない、ということです。

病室に入ると、ベッドサイドモニターの数値は芳しくありません。
このモニター、フクダ電子製のDS-7810という機種で、ディスプレイには心拍数、血圧、SpO2(経皮的動脈血酸素飽和度)、呼吸数が表示されます。
SpO2は健常者なら96~98程度ですが、この日は85前後。
モニター設置時は90を下回るとアラームが鳴るように設定されていましたが、この日の時点では85が下限に変更されていました。それでも時折アラームが鳴ります。

血圧は常時測定している訳ではなく、看護士さんがモニターの測定ボタンを押すと測定する仕組みですが、午前中は上が80台、下が40台という状況。

午前中に叔母(母の妹)が来てくれて、午後には父方の叔母(父の末弟(20年以上前に亡くなっている)の嫁さん)、そして叔父(父の次弟)が来てくれました。夕方には叔母(父の妹)の息子、つまり私の従兄が来てくれましたが、この叔母も今入院中という話・・・

その他、午前中に病院のケアマネージャーさんがお二人、相次いで様子を見に来られました。在宅介護のお世話になったのはほんの1ヶ月半ほどでしたが、こちらのケアマネさんには大変よくしていただきました。この日に限らず、時間が許せば顔を見に来てくれていたそうです。

様子を見にこられた執刀医の先生や看護士さんからは、血圧低下と共に、体温が高いこと、そして何より前夜から殆ど排尿がない点が心配だ、と告げられました。しかも出ているわずかな尿の状態も非常に悪い、という話です。腎臓の機能が低下している、ということなのかな・・・と理解します。

午後には血圧が、上68、下31とさらに悪化します。
SpO2は一度100を示すことがあったりして、安定しません。平均すると90前後というところでしょう。
ただ、心拍数と呼吸数は比較的安定しており、夜には割と低空飛行ながら安定しているようにも見受けられました。
面会時刻の終わる20時には、何かあればすぐに連絡いただくように看護士さんにお願いして、一旦自宅に戻ります。

その晩は、呼び出されたらすぐに飛び出せるよう、外出時の服装のまま、茶の間で寝ることにし、IS03の充電も万全の体制をとります。

電話が入ったのは、14日の午前2時20分。
既に呼吸が弱々しく、血圧も著しく低い、すぐに来てくれ、という話。

顔だけ洗って、タクシーを呼び、10分後には家を出ていました。
家から病院まではタクシーで6~7分。あと2分ほどで着くだろうという地点で再度ケータイが鳴ります。
もう血圧が測定できないレベルまで下がっている、とのこと。
あと3分ほどで病室に着きます、と伝えて、一路病院へ。

夜間入口から入り、病室に駆けつけると、看護士さん二人が待っていました。この時点でモニターの数値は全て0。ただ、腕に触れると心拍数が少し変動します。これは生きている人の反応なのか、単なる化学的なものなのか、機械的なものなのか・・・

すぐに当直の医師を呼んで来られ、型通り、聴診器で心拍を確認し、瞳孔を照らします。呼吸数はモニター上も0と表示されています。
その若い当直医から、午前2時48分、死亡を確認しましたとの言葉を受けます。

看護士さんがモニターのアラームを切り、点滴を外します。
最期まで鳴り続けたこのモニターの低いアラーム音は、今の私には緊急地震速報の警告音よりもトラウマになりそうな音になりました。

それから少し遺体の処置があるので、その間は同じフロアの展望室で待機、処置後に少しだけ二人きりの時間を作ってくれました。
何を母の遺体に向けてしゃべったのか、はっきりとは思い出せませんが、感謝の言葉とねぎらいの言葉をかけたような記憶があります。

その後、白装束に着替えさせるのと化粧を施すので、その間に1Fの待合所でご親戚に連絡してください、と促されます。

夜中の3時半頃の病院の待合室。
20年前の父のときも深夜に亡くなったので、その時以来の感覚です。
ただ、その時に横にいた母は、もういません。

母が入院前に作っていた緊急時の連絡先一覧を見ながら、主要なところから電話をかけていきます。すぐに出てくれる親戚もいれば、出ない親戚もあります。まぁこの時間帯では致し方ないところ。

併せて、市役所の市民生活課にも電話をかけます。
当直の方が出られて、簡単なヒアリングを受け、市の委託業者に連絡をしてくれることになりました。父のときにもお世話になった業者を伝えました。

少しするとその業者から連絡が入り、市立斎場での家族葬を希望しましたが、近時は家族葬を選ばれる遺族が多く、小規模な式場は日曜、月曜あたりまで埋まっている、と聞かされます。
仕方なく、斎場に隣接している葬儀社のホールを利用することにします。
この頃には、昨夕も来てくれた従兄がかけつけてくれていました。私の二つ年上で、自分の母が大変なときではありますが、わざわざ川西から駆けつけてくれて感謝、です。

5時半に葬儀社の車が到着し、遺体を車に搬送、私は葬儀社の車に同乗し、従兄は自分の車で、葬儀社のホールにある安置室に遺体を移送します。
後で確認すると、その部屋はお寺さんの控室だったようです(^_^;)

少しすると大阪市内からお寺さんがかけつけてくれ、枕経をあげていただきました。ご住職の奥様で、いつも懇意にして下さっている方です。個人的な印象ですが、私はこの奥様のお経が結構好きです(^_^)。母も多分そうだったと思うので、奥様に枕経をあげていただけたのはよかったと思っています。

さらに少し待つと、叔母(父の末弟の嫁さん)が駆けつけてくれました。
父方の親族の中では、一番母が頼りにしていた方です。
双子の息子を授かった少し後に夫が骨肉腫とわかり、幼子を二人抱えながら、夫の最期を看取った方です。
この叔母に後を託して、従兄と私は一旦家に戻って、礼服などの準備をすることにします。

自宅に戻って、まずやらなければならないのは、遺影となる母の写真を探すことです。
準備のいい方なら、生前から「これを使え」と用意しておくところでしょうが、そういうことはなく、また最近は写真を撮ってもらう機会もなく、それ以上に家の中が全く片づいていなくて、何がどこにあるのかさっぱり・・・という状況だった訳です(^_^;)

ひとまず母の寝室のタンスを一つずつ開けて確認していくことにしました。
すると・・・アルバム発見!(^o^)
これは・・・とめくっていくと、どうやら私が生まれて以降の幼少期のアルバムだった模様(^_^;)
何か使えそうなものは・・・と見ていくと、何と私の七五三のときの写真を見つけました。和服姿で立っている母の横に、小さな私がいます。
直感的に、これは使える。若すぎるけど、女性だし許される・・・と判断し、その写真を持参することにしました。
結果的に、随分話題になりましたが(^_^;)、まずまず好評でした。
まぁ母も苦笑していることでしょう。

それからあれこれと準備、身支度をし、仏壇の前だけ物を退け(^_^;)、猫に餌を与えて家を出ます。
一旦駅前の銀行でお金をおろし、駅前からタクシーで葬儀社のホールに戻ります。

あとは夜の通夜、翌日の葬儀と火葬、骨あげ、初七日と行事が続きます。
葬儀が午後からだったので、午前中に葬儀社の方と自宅に戻り、四十九日の祭壇をセッティングしてもらいます。前日少し片づけた程度では祭壇を設置するには足らず、さらに物を脇に寄せる必要がありました(^_^;)

火葬は隣接する斎場なので、一同ぞろぞろと葬列を組んで徒歩2分。
民家もある場所なので、お住まいになられている方は毎日のようにこういう葬列をご覧なのでしょうけど、ちょっと奇妙な感じ。

自宅には葬儀社の車で叔母(母の妹)と共に戻り、葬儀社の方に祭壇に遺影や遺骨を設置してもらい、何とか体裁が整います。
叔母とコーヒーを飲んで一息つき、長い三日間が終了。

さて、前回の日記以降のことも少しだけ。
前回はまだ「カレイの煮つけが・・・」なんていう段階でしたが、これも結局二口ほど口をつけただけで満足。あとは殆ど食事を受け付けなくなってきました。

一度だけ、「アイスがほしい」というので、向かいのコンビニに走り、「爽」のバニラを買ってきて、これも二口ほど口にしたことがあります。
私が見る限り、これが母が最後に口にしたもの、です。ひんやりとしたアイスの食感をじっくり味わっているようにも見えました。

4月下旬以降は点滴だけで生き長らえている状態で、人はやはり口から食べ物を摂取できなくなると、一気に気力が衰え、衰弱していくものだな、と実感しました。

まだまだ様々な手続や行事、そして家の内外の片づけが残っており、しばらくはのんびりともしていられませんが、できるところからぼちぼちやっていこうかと思っております。
まぁいつ呼び出しの電話がかかってくるかと緊張が絶えなかった頃に比べれば、気分的には少しホッとしているというのも事実ではあります。

会社からは木曜まで休んでね、と連絡が入ったので、お言葉に甘えようかと思ってます。
丸一週間休んじゃうので、金曜日に出社したら、デスクの上がえらいこっちゃな感じになっているであろうことが予測されます(+_+;)

土曜以降は自動ツイート以外のツイートもしてなかったのですが、これを機にまた復帰しようかと思います。まぁいい息抜きにもなりますしね(^_^)

これまでに、皆さんからも様々な形でお気遣いいただき、また応援していただいたり、アドバイスもいただきました。
私もですが、亡き母もきっと感謝していることと思います。
本当にありがとうございました。

最後になりましたが、これからもよろしくお願いいたします。
ふ~(+_+;)

2011 05 16 11:10 PM [Information, , 日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク

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