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2011.06.12

聴く乳の道

詳しくは忘れたが、スタートレックのノベライズの中で、脳に音楽のチップを埋め込んで、耳からでなく、直接聴覚神経に音楽を刺激として与える、という技術が出てくる。
この技術はロミュランにおいて発展し、その効果として、これを埋め込んだ若者たちがどんどん精神的に頽廃していく、というようなことが描かれていた。

街中をヘッドフォンで武装(笑)して闊歩している21世紀の地球人も、程度の差はあるが、似たようなものなのかも知れない・・・

・・・などと書いているけれど、それこそウォークマンが出現した頃に多感なハイティーンの時期を過ごしたワタシも、随分頽廃の道を驀進しているのではなかろうか、と自省するところである。
VIVA!頽廃。

ウォークマンがやがてCDになり、あるいはMDになり・・・というところまでは、まぁかわいいものである。
21世紀に入り、本格的にデジタルオーディオが普及するようになって、機器の小型化と容量の巨大化が推進していく。皆さんご存知の通り、iPodがその牽引役となったワケだ。

ワタシが初めてiPodの実物に接したのは、comet師匠が所有していた初代であったから、かれこれ10年近く前の話だ。初代は2001年の11月発売なので、今年が10周年だ。
今ならHDDでなくフラッシュメモリタイプがカバーする程度の容量ではあったが、数千曲の音楽データを、カセットテープ程度の大きさに収納できる、というのは画期的であった。

その後、ワタシもいわゆる第4世代で初めてiPodオーナーとなる。
20GBのモノクロディスプレイであったが、サイコロ状の大仰なダンボールが届いたときは心躍ったものである。

以後、iPod photo 60GB、iPod classic 160GB、iPod shuffle
2GBを保有するようになったワケだが、どうやらこの160GBというので、iPodの容量拡大政策は一段落してしまったようである。
製造元のアップルが、iPod classicの系列で画期的な商品を開発する意欲を完全に失っているようであるし、160GB以上の容量を必要とするユーザーを擁する市場というのにも魅力を感じていなさそうである。

では他のメーカーはどうか、というと、そもそもHDD搭載の大容量デジタルオーディオプレイヤーに対して意欲を見せている企業が見当たらない。

しかし、比率としてはかなり低いにしても、世の中には160GBでは足りなくなった、という人から、テラバイトレベルの容量が必要だ、というような方々まで、いることはいるのである。
マイミクの皆さんにもそういう方はおられるだろうし、最近twitterで親しくさせていただいている「倉岡」な皆さんなんかもそうだ(一部重複あり)
他ならぬワタシ自身、フルトヴェングラーの107枚組をリッピングし始めた途端にiPod classicが「もうお腹いっぱい」とのたまうようになってしまった。

何とかせねばならない。

もう一つ問題がある。
スマートフォンとiPodをどう併用するのか、という問題だ。

上着を着ている季節ならあまり問題はないのだが、夏場はスーパーじゃないクールビズにおいて、(通常)一つしかないワイシャツの胸ポケットをiPodが専有するのか、スマフォが占めるのか、これがかなり悩ましい問題となる。
両方入れることも可能だが、明らかに胸ポケットがパンパンである。スマフォをXperia acroとかMEDIASにしたとしても、この辺は解決しそうにない。

また、スマフォのデータ容量はしれている。microSDHCを挿しても32GBとか、その程度である。
しかもそこに音楽以外の様々なデータやアプリを入れなければならないので、数百GBからTBレベルまで所望される皆様の要望にはお応えすることができない。
1TBのmicroSDが出ればよいが、まだまだ先の話だろう。

ではクラウドなのか、というと、これもまたなかなか手間のかかる話ではある。最終的にはその辺に落ち着くのかも知れないのだが、今はまだ手軽に気軽に手を出せる状況ではなさそうな感じである(感じ、であって、実はとてもお手軽にイケる状態なのかも知れないが)

去年(2010年)の夏は、iPod側にBluetoothのトランスミッターを装着して、それをBluetoothヘッドフォンで受ける、という手法を試してみたが、イマイチ便利とは言い難いものであった。
まぁ去年の夏はスマフォと言ってもIS01を使っていたので、ポケットの領有権問題は発生していなかったのであるが。

そんなようなことをぼやんくるきっちと考えていたところに、twitterで某フォロワーさん(元々fclaの人だが)から「audiogalaxy」なるものの存在を教わったのが、ほんの二週間ほど前の話である。アプリ自体は一年ぐらい前には世に出てきているのだが、全く認識してなかった。あおまいがっ。

簡単に言えば、自宅PCのiTunesをスマフォで動かしてしまうアプリ、である。
PCとスマフォ双方にaudiogalaxyをインストールし、メールアドレストとパスワードを設定しておけば、わざわざUSBで接続して同期したりすることも必要なく、iTunesライブラリに入っている楽曲データをストリーミングさせることができてしまう。
楽曲データは自宅PCからWiFiや3G回線を通じてスマフォに飛んでくるが、スマフォ側ではそのデータを再生するだけである。
プレイリストやアーティスト単位で楽しむこともできる。日本語への対応がやや心もとない気もするが、全くダメということでもない。まだまだ改善の余地はあるにしても、かなりいい線をいっているアプリである。

もちろんPCの相手方はスマフォでなくてもよくて、職場のPCでも構わない。休日出勤で人が少ないときとかに、こっそり試してみる手もあるかも知れないが、ブラウザのバージョンが古いのでダメっぽい感じである(^_^;)

もちろん付加的な機能として、再生中のデータに関する情報を共有することもできるので、「今、これこれの曲を誰それの演奏で聴いてまんねん」ということをFacebookやtwitterに流すことも簡単にできる。
なんかちょっと昔のmixi musicを思い出させる機能だ(^_^;)

外出先では3G回線経由でデータを受け取るので、例えば地下鉄乗車中などはデータが受け取れない(はず)
しかし、先日試してみたところ、データは楽曲単位で受け取っているようで、再生開始している楽曲については、電波の届かない地点であっても途切れることはなかった(長大な楽曲だとどうなるかは不明だが)

先週末からはしばらく放置していたBluetoothヘッドフォンを利用して聴いているが、ヘッドフォンの性能もあり、時折再生が途切れることがある。これはBluetoothの問題であろう。
ただ、スマフォはネックストラップにつないで、なおかつ胸ポケットに入れておきたいので、Bluetoothヘッドフォンの利便性は高い。
音質やコードの取り回しなども考えつつ、もうちょいよさげなやつを調達したいなぁ、と画策しているところである。

この「聴く乳の道」をさらに進めば、機器の小型化と高性能化、そして、直接聴覚神経に刺激を与えるロミュラン式の装置が開発され・・・というのも絵空事ではなかろう。

audiogalaxy

2011 06 12 10:09 PM [Android, music with iPod, twitter, 音楽] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

はらこせき

諸々、多少落ち着いてきたというか、永遠に落ち着かないだろうことを悟って、落ち着いたフリをするのに慣れてきたというか、そういうような状態の日々である。

手続というのは、しないと不利益を被ることが多いが、立場を変えて、手続に来られる側に立てば、手続に来られることで不利益を被ったり、そうでなくても手数がかかるので面倒である、という側面がある。
手続が面倒である、というのは、手続に来られる側による「面倒だから手続に来るな」という意思表示であることが多い。

それはともかく。

母の銀行口座の閉鎖と相続のために、様々な書類が必要となっている。
そうでなくても手続は面倒なものだが、相続が絡むと、これが一層面倒なことになる。

被相続人と相続人の続柄を確認するだけなら大した手間ではないが、他に相続人に成り得る人物が存在しないかどうか、不在証明をしなければならない。
不在証明は存在証明より難しい(めんどくさい)のはご承知の通りである。

相続人(ワタシ)の戸籍謄本(正しくは戸籍全部事項証明書)、幸いなことに、これに関しては住民票があって、現に居住しているところと同じ役所で取得できるので、特に問題はない。
問題なのは被相続人(亡母)の分である。

日本では多くの場合、婚姻を契機に新たな戸籍が作られる。
もちろん、それ以外の理由、きっかけもあるにはあるが、殆どが「結婚しました=新たな戸籍を作りました」である。

芸能人などで、よく「入籍」という言葉が結婚の代わりに使われるが、これは「結婚式を挙げてないが、婚姻届は出した」というようなニュアンスで使われているように思われる。
しかし、本来「入籍」とは、既にある戸籍に、新しく誰かが入ってくることであり、イマドキの日本において「結婚して入籍」というのは、実はかなりのレアケースではないかと思われる。
つまり、芸能ニュースにおける「入籍」は本来の用語の意味とは異なる、特殊なテクニカルタームとして受け取らねばならない。

さて、ご存知のとおり、ワタシは一度婚姻というものをしているので(既婚独身というやつだ)、ワタシの戸籍はそのときに新しく設けていて、現在は筆頭者であるワタシが一人だけその戸籍に入っている状態である。

亡母の戸籍は、20年前に世を去った亡父が筆頭者である戸籍に入っており、その戸籍には他に誰もいない(ワタシは既に抜けているし、兄弟もいないので)
このように、「そして誰もいなくなった」戸籍の謄本は「除籍謄本(除籍全部事項証明書)」と呼ぶ。
今回はこれが必要である。

それと、亡母が亡父と結婚するまでに入っていた戸籍についても謄本が必要になる。つまり「実家の戸籍」である。
こちらも婚姻によって別の戸籍になった人以外は全て他界している。なので、これも除籍謄本である。

ついでに書くと、戸籍の書式が変更になると、変更以前の戸籍については「改製原戸籍」と呼ばれるようになり、内容は新書式の戸籍に引き継がれているにも関わらず、これはこれで必要になってきたりするのである。
というのも、旧書式から新書式に転記する際に、書き間違いが生じたり、新書式では不要な情報が記載されていたり、ということがあるからである。
ちなみに、正しい読み方は「かいせいげんこせき」であるが、「げんこせき」と読むと「現戸籍」と混同する虞があるため、役所のおじちゃんなどは「はらこせき」と読んで区別している。

5月最後の木曜日、午前中に三七日を終えて、午後から茨木市役所に行き、そこで母の除籍謄本が必要なら福島区役所に行きなさい、と言われ、大開の福島区役所に出向き、そこで除籍謄本と改製原戸籍を取得し、さらにその前の分が必要なので、貝塚市役所まで出向いて祖父が筆頭者の除籍謄本、さらに曽祖父が筆頭者の除籍謄本まで受け取ってきた。
曽祖父、安政5年(1858年)生まれである(^_^;)。「安政の大獄」があった年。
ご兄弟は文久2年(1862年)生まれ(@o@;)。「坂下門外の変」や「生麦事件」の年である。ドビュッシィやディーリアスと同年生まれ。

明治から戦前あたりまでは戸籍に対する考え方も今と多少異なる面があり、祖父は結婚してもしばらくは曽祖父の戸籍の下で暮らしていた、ということのようである。
「婦」とか「孫」などの続柄が戸籍の中に数多く見られる。

明治時代の戸籍謄本であるから、もちろん和紙に墨で手書きされているが、現在はそれをスキャンしたものがプリンタから排出されてくる仕組みである。

それにしても、当時の役所の人の字は、実に美しい。
折り目正しい、と言った方が適切かも知れない。
こういう字を、正しく、根気強く書けるから、役所で雇ってもらえたのかも知れないなぁ、とさえ思う。

ひとまずこれで必要な書類が揃ったので、次の水曜日に休みをとって銀行に行く予定にしていたら、月曜日に叔母(亡父の妹)の訃報が飛び込んできた。
母が亡くなる前日に見舞いに来てくれた従兄から聞いてはいたが、うちの母と同じような症状で、同じような経過を辿っていたので、ある程度予期はしていたのだが。
火曜日がお通夜で水曜日が葬儀となり、結局火曜日も休みをとって、昼間のうちに銀行と役所と年金事務所を廻ることになった。
まぁ銀行の手続も時間はかかったが、何とか終了である(^_^)

あ、ちなみ戸籍謄本の類は郵送もしてもらえるが、これもまた面倒な話なのである。急に赴くには遠いとか、どうしても平日に休みが取りづらい、という場合は仕方がないが、一応同じ府内だし、何とか休みも工面できるので、直接乗り込む方を選ぶワタシではある。

で、その週末になって、いよいよ「お疲れ出ませんように・・・」の「お疲れ」が出てしまった(+_+;)
喉風邪で週末ダウンしていたが、まだ喉は痛い・・・
次の法要のタイミングも迫ってきている・・・(=_=;)
いろいろと困りますなぁ(^_^;)

2011 06 12 09:58 PM [etc., 日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック