2007.07.17
さらば、チビ
東京出張から帰って来たら、母から「チビが交通事故で死んだ」との報。
最近よくなつくようになってきていたので、大変残念だ(T_T)
9日前に撮影したこの写真が遺影になってしまった・・・
2007 07 17 11:40 PM [Photograph, 悼] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2007.04.29
スコッティ、宇宙へ
ジーン・ロッデンベリーも確か宇宙葬だったと思いますが、ドゥーアンさんの遺灰も宇宙を旅してきたそうです。
行って、帰ってきて、遺灰は遺族に返還されるということのようです。宇宙空間への散骨は、いろいろ難しい問題(物理の法則の問題ではないけれど)があるらしくて、現状では無理らしいということのようですね。
遺灰1グラムあたり6万円ほど($495)でやってもらえるそうです。
2007 04 29 09:00 PM [StarTrek, ニュース, 悼] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2007.03.29
尼崎駅にて
11時を少し回ったあたりで同僚と職場を後にし、尼崎の駅のホームに行くと、ホームの屋根を支える柱にしがみついてしゃがみこむ若い女性の姿あり。
「頼むからここで吐かないでほしいですよね」と同僚。
「それより、電車来たときによろけて、そのまま電車にダイブでもされたらかなんがな」
「壮絶なシーンですやん」
「でもそうなった場合、一番間近で血しぶきとか脳漿とかを浴びるのはキミやで」
「ちょっと移動しましょか」
「そう言えばね・・・」
昔、大阪駅のホームで、文字通り泥酔された娘さんが、ベンチではなく地ベタにへたりこんでいたのだが、しばらくするとその娘さんを中心として、じんわりとある種の水分が周囲に広がりゆく、という場面を目撃したことがある。
「正気に戻ったとき、大変だったでしょうねぇ」と同僚。
「そこまでは見届けんかったけど・・・もしかしたら、既にある一線を越えてしまっていた人だったのかもなぁ、とも思ったりしてね。そこを越えるとなかなか・・・」
そんなことをしゃべっていると、またまた鴨ちゃんのことが脳裏をよぎって気持ちが重くなる。
彼は一線を越えてしまった人だけど、それでも依存症は克服できたのに、同時進行のガンにはついに屈服せざるを得なかった。
「毎日かあさんち」に寄せられた膨大な数の弔いの言葉に対するサイバラの謝辞を読んでいると、この人はやはり紙に向かうとプロ根性が出てしまう人なのだな、と実感する。
「AERA」で描かれている彼女との落差がまた彼女らしいというか・・・
しがみつきしゃがみこみの姫は、ちゃんと介添えの王子様がいたようで、電車にダイブするでもなく、ホームにリバースするでもなく、無事にわれわれの隣の車両に乗り込んでいったようだった。
2007 03 29 11:47 PM [etc., アニメ・コミック, 悼] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2007.03.27
たわけもの
家を出て、小走りに最寄のバス停に向かうと、目当てのバスがやってきた。ダッシュ・・・辛うじてセーフ。
乗り込んで気がついた。
いつもワイシャツの胸ポケットに入れているiPodの電池がなくなっていたことを。
行き帰りがかなりつまんなかったが、風邪気味で熟睡してしまったので、結局どうでもよかったワケだ(^_^;)
いつの間にか放電してしまったのかな。一昨日の晩、バッテリー残量をしっかりと確認した訳ではないが、赤かったような記憶はない。
微かに残った電池の力でディスプレイに表示されたリンゴのマークは、実はなかなか美しく、はかなげな感じがする。
サイバラコミュで妙ななりゆきで話題沸騰(^_^;)してしまった「AERA増大号」と、「哭きの竜・外伝3」を購入して帰宅。
鴨ちゃん死去から一週間、季節の変わり目でいろいろあるのか、亡くなる方が多い気がする。
植木等死去もとても残念だが、達六段が亡くなられたのにはびっくり。前から悪かったのかな。まだ若いのに。
2007 03 27 11:04 PM [music with iPod, 悼] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2007.01.17
肉入り紅生姜丼、復活の日
棚卸し立会いのため、朝から担当を割り当てられた店舗に出向く。
直線距離だと近いのだが、雨が降っていること、最寄りの鉄道駅から遠いこと、バスがあるけど、一度阪急の駅まで出なければならないこと、自宅近くから出ているバスは9時前にならないと阪急の駅前まで行ってくれないこと・・・等などの諸条件があって、面倒なのでJRの駅前からタクシーで向かってしまうことにする。
駅前のデイリーヤマザキで昼食のパンを購入したとき、ミルキーがまだ売っているか確認してみたが、既に撤去されていた。悲しい・・・
タクシー待ちの列が数名。しかし結構来ないものである。雨のせいなのか。
やっと来たタクシーに乗って、店までの道がいわゆる「ばばこみ」(+_+;)
店のかなり近くまで来ていながらなかなか動かないなぁと思っていたら、トラックが事故っていて、パトカーやレッカー車が止まっており、1車線潰れていたのであった。そこを越えるとすいすいと行くが、店まで車でほんの1分かそこらのところでこの事故は痛い。
店内に入ると既にチェック進行中で、何と午前中にチェック終了し、午後イチでの開店にこぎつけてしまった。店長以下数名が前日から徹夜で臨んだだけのことはある。
結局、昼食用に買ったパンを食べる機会もなく、そのままバスで阪急の駅前へ。
ここでふと思い立ったのが、「吉野家」である。
牛丼再開後、実は全く立ち寄る機会がなかったのだが、折角なのでパンは後で食べることにして、久しぶりに牛丼(と言うか、ワタシの場合は「肉入り紅生姜丼」と呼ぶ方がふさわしいが)を食べてみよう、ということになった。
駅前の店舗に入って、並と卵を頼み、ごぼうサラダをつかむ。忘れかけていた感覚だが、やはりブランクが長かったせいか、「つゆだくのねぎだく(こういう場合、何事も過剰をよしとする主義である)」と伝えるのを忘れていたのは痛恨事(^_^;)
卵をといて牛丼にかけ、七味唐辛子のように見えるふりかけを全面的に、華々しくふりかけ、ここで一度ビビンパのごとくかきまぜる。
続いて丼の端の方を少し掘って、そこに紅生姜をトングでひとつかみ、ふたつかみ、みつかみ、よつつかみ、いつつかみ・・・ぐらいで今日は容赦してやることにした(途中で追加したが)
この状態でさらに軽くかきまぜて、ようやく口に入れる。これがスタンダードな肉入り紅生姜丼の食し方というものである。
食べながら他の客の動向にも注意を払っていたが、意外と豚丼の人気も高い。牛丼休止中に豚丼に親しみ、そのまま豚丼でよし、と考えるようになった客も結構いるのであろう。値段や量の問題もあるのかも知れない。牛丼は並か大盛までだが、豚丼なら特盛もOKである。
1月17日。
個人的には・・・新聞社時代の同僚が結婚式と出産を間近に控えた身で逝ってしまったこと(だから震災の犠牲者には、あと0.5人付け加えるべきだと思っている)、四天王寺近くの寺で見た、透き通るように白い、彼女の死に顔が思い起こされる。
敢えて言うが、まだこれは過去形ではなく、現在進行形で語るべき災害であることを忘れないようにしなければ、と思う。
2007 01 17 04:07 PM [悼, 日記・コラム・つぶやき, 飲食] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2007.01.14
あれから20年
湖畔に佇み、瞑目してヘッドフォンから流れる音楽を愉しむ(愉しんでいるかのように振舞う)ニホンザルとして、一躍有名になったチョロ松が、29歳8ヵ月(人間の年齢に換算すると100歳)で大往生を遂げたそうな。
実際には音楽を聴いていた訳ではなかったそうだが、あの表情は忘れがたく、印象に残っている。
キャッチコピーもよかった。
「音が進化した。人はどうですか?」
さっぱりです。
チョロ松の画像は以下で見ることができる。
周防猿まわしの会
2007 01 14 11:32 PM [etc., 悼, 映画・テレビ, AV・デジタル家電] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2007.01.07
今日の昼食はもちろん
安藤百福さんを偲んでカップヌードル。
長命の経営者というと、2つ前に在籍していた会社には、私が入社する少し前まで存命だった創業者オーナーがいて、亡くなられた時には105歳の大往生だったそうな。
社長が子息で、既に70代半ば。しかしアメリカやヨーロッパや中国や中東にひょいひょいと飛んでは商談を進めて来られる。
こういう人たちは身体の基礎がしっかりしてるんだろうな、と思う。
さて、池田と言えば「かき峰」だが、その「かき峰」からさほど遠くないところに「インスタントラーメン発明記念館」がある(ついでに私が3つ前に在籍していた会社が出した店も近所にある(^_^;)。泉茂さんのマンホール蓋写真集、今も店内に飾っているだろうか・・・)
今季は(というのは、3月で「かき峰」の今シーズンの営業が終わるので)何とか「かき峰」に行くオフを復活させたいのだが、それだけのために池田まで行くのもナンなので、先にこのラーメン記念館を見学してから行く、というプランも悪くないなぁ、と思う。
問題は昨今のノロウイルス騒ぎで、「かき峰」のあの絶品の酢牡蠣が食べられるのかどうか、というところかな。
最近行かれた方、もしいらっしゃったら情報を下さいませ(_ _)
まぁ山盛りのカキフライ、かき土手鍋、そして極上のかき飯、そして「呉春」があれば十分、とも言えるが(まぁ「呉春」は震災以降水質が変わってちょっと・・・という声も聞くが)
2007 01 07 11:13 PM [悼, 日記・コラム・つぶやき, 酒, 飲食] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2006.09.06
服喪の日
・・・だなぁ、イタリアは。
特にインテリスタではないし、彼の現役時代のプレーを知っている訳でもないが、インテルがまがりなりにもヨーロッパのトップクラブの一つとして評価され続けているのは、モラッティの下に、彼のような人がいたからなんだろうと思う。
巨星墜つ。だが64歳というのはまだ若い・・・
ジャチント・ファケッティ 死去関連記事
ファケッティ氏が死去、インテルにささげた人生
巨星墜つ・・・インテルの象徴突然の他界にイタリア騒然
今日、Euro2008の予選でフランス代表と戦うアッズーリの面々も、喪章をつけて弔意を表す。
2006 09 06 02:38 PM [Football, 悼] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2006.05.06
志のゆくえ:萱野茂さん追悼
萱野さんが亡くなった。
一人の、元国会議員の死というのではない。
一人の、民族を代表する象徴的存在の死である。
訃報:萱野茂さん79歳=アイヌ民族初の国会議員を務める-訃報:MSN毎日インタラクティブ
学生時代に「アイヌの碑」を読んで、さまざまなことを学んだ。
アイヌに関心を抱くきっかけは、おそらくは本多勝一の著書からだったろう。
「殺す側の論理」だったか「殺される側の論理」だったか、もしくは双方からだったかも知れない。
そこから興味がふくらみ、大学の語学研究所(語研)の公開講座でアイヌ語の初級クラスに通い、実際に東京に暮らすアイヌの方々と机を並べてアイヌ語を学んだものである。アイヌ語の、母音調和を色濃く残した柔らかな響きに心洗われる思いがしたことを思い出す。
田村すず子先生を中心にして、当時のクラスのメンバーで撮ったモノクロの記念写真が、今も藤本英夫さんの著書「銀のしずく降る降る」の折り返しに挟んである。
この本(新潮選書から出ていた)も、今は入手不可であるが、「銀のしずく降る降るまわりに」として草風館から再刊されているようである(値段は倍以上になったが)
「アイヌ神謡集」をまとめ、弱冠19歳にしてこの世から旅立った薄命の人、知里幸恵さんの生涯にスポットライトをあてたこの著書は、20代の私にとって、「夜と霧」「白バラは死なず」と並んで、多大な影響を与えた一冊であった。
著者の藤本英夫さんも、昨年12月24日に亡くなられたばかりである。
さて、話を萱野さんに戻さねばならぬ。
国会議員としての萱野さんの業績は、ご本人にとっては、おそらくは隔靴掻痒の至りだったのではないだろうか。
さまざまなことを提起した。訴えかけた。訴え、怒った。
あるものは人々の心に届き、あるものは届かなかった。
ある意味では、萱野さんの活動は奏功したものも多かったとは思う。
二風谷ダム建設の差し止め訴訟は、まさにその最たるものだ。
萱野さんの活動を、スタンドプレーと見る向きもあるかも知れないが、萱野さんがスタンドプレーをしなければならないほど、日本という国で、アイヌという少数民族の存在が、人々の口の端にのぼることは皆無に近かったのである。
そして、萱野さんの活動が局地的に成果を収めたにせよ、日本におけるアイヌの立場は、残念ながら今もまだ限りなく無に近い。このあたりが、まさに隔靴掻痒たる所以なのである。
今、萱野さんの志を引き受け、さらに大きく育てていくことができる後継者が真に俟たれる。
萱野さん、本当にお疲れ様でした。
どうぞ安らかに・・・
2006 05 06 11:47 PM [悼] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2006.04.25
あれから1年

いつものように尼崎駅に着くと、追悼会場に向かう人々や報道陣で、かなりの混雑。
うちの1階駐車場がシャトルバス乗り場になっていた。
2006 04 25 08:27 AM [Photograph, 悼, 日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2006.03.27
心はいつも乙女のように
泉州のビッグママ、逝く。
母に話を聞くと、何やら母の家系とは、限りなく他人に近い遠縁になるようである(うちの母方の親戚は貝塚~岸和田界隈に点在している)
その縁で、母が若い頃に、綾子ママに服を作ってもらったことがあると言う。
年齢的にうちの母は、綾子ママとその娘たちの中間ぐらいなので、3姉妹のことは今でも小娘扱いである。
特に真ん中は「あのジュンコ(「ン」が高くなる独特のイントネーション)がねぇ・・・」となる。
ちなみにタイトルは、コシノ一家をフィーチャーした明治座の公演のタイトルからいただいた。
そのとき、綾子ママを演じたのは赤木春恵。ちょっとイメージ違うんだけどなぁ・・・。まぁ3姉妹もそれぞれ全然イメージが違うけれど(^_^;)
92歳。
まぁ大往生なんとちゃうかな。
どうぞ安らかに・・・
2006 03 27 12:00 AM [悼] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2006.02.09
あなたを決して忘れない
出張明けの疲れた頭で、ぼーっと新聞のスポーツ面を眺めていて、その片隅にある訃報が目に留まる。
「富樫・・・洋一・・・? ジャンルカ? なんで? 今、アフリカでしょ?」
ジャンルカ・トト・富樫洋一氏。
その、Africa Cup of Nations取材中、カイロで風邪を患い、呼吸困難に陥っての急逝と聞く。
享年54歳。
今まさにサッカーメディアの中心で確固たる位置を占め、これから20年は軽くやっていけるはずの人だった。
惜しい・・・などの言葉が軽く聞こえるほど、サッカーメディア界の損失は計り知れない。
熱烈なインテリスタとしての側面はよく知られるところだが、アフリカのフットボール事情に明るいこと、そしてこれから大きく伸びようとしている若手選手を「発掘」する目の付け所の鋭さもまた、ジャンルカ氏の真骨頂であった。
本当に、彼のコメンタリーで初めて知った選手がいかに多かったことか。
名を成したスター選手でなく、そういう選手の紹介に情熱を注いだところに、彼のフットボールジャーナリストとしての矜持を、強く感じる。
今回のアフリカ・ネーションズ・カップ取材も、彼にとっては宝の山、金脈の発掘に似た、心ときめかせる旅だったはずだ。
それが、死出の旅となるとは・・・
まさに、「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」
自分はインテリスタではないし、迷走するインテルの姿をシニカルに眺めるぐらいのものであるが、ベルゴミが活躍していた頃などを思い出しつつ、ジャンルカ氏の在りし日に思いを馳せたいと思う。
あの軽妙な(時に大きくスベる)ダジャレが、もう聞けないのかと思うと、本当に寂しいし、悲しい。
さようなら、ジャンルカ。
どうぞ安らかに・・・
2006 02 09 11:45 PM [Football, 悼] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2005.09.19
晩夏
9月下旬とは言え、まだまだ蒸し暑い日々が続いている。
一時期の涼しさが嘘のようだ。
そんな晩夏の一日、大いなる挫折に見舞われた一人の革命家がこの世を去った。
流通革命のコンセプトは、おそらく今でも正しいのだろう。
巨大メーカーではなく、巨大金融業でもなく、流通業であるダイエーを、その巨大さゆえにという理屈はあるにせよ、潰すことができなかったことが、その正しさを認めざるを得ないことの証左ではないか、とも思う。
一方で、メーカーの、特に開発者が、まだ十分とはとても言えないにせよ、消費者の意向、志向を意識せざるを得なくなってきている流れも、流通革命の別の側面とも言えるかも知れない。
あの世で「松下vs中内」の激論が再開されているのかどうか、そこまではわからないが。
渥美俊一のもとで血判状を書いたメンバーも、少しずつ欠け始め、何人かは既に最前線からは退いている現在、日本の流通業の牽引車となり得るのが、どこ(どの業界)の誰になるのか、個人的には興味深いことと感じている。
最後に、中内功氏のご冥福をお祈りします。
2005 09 19 11:56 PM [悼] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2005.07.21
もう一度転送メモリーで
待ってるんだろ、スコッティ…いや、ジミー(;_;)
James Doohan: March 3, 1920 - July 20, 2005 from STARTREK.COM
スタートレックの生みの親、ジーン・ロッデンベリー同様、ジミー・ドゥーアンの遺灰も宇宙に還る。
まさに、余人を以って代え難い、名優は去った。
使い古された言い回しだが、今頃きっと、ジーン、そしてディ・ケリーさんから「やっと来たか。待ったぞ」と歓待を受けているのだろう。
あなたの魂は宇宙に遍在することになるのだから、さようならとは言わない。
ただ一言・・・・・あなたは素敵だった。
****追記****
2005 07 21 10:12 PM [StarTrek, 宇宙, 悼] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック
2005.06.27
嗚呼、吾郎ちゃん
27日、東京にて死去。
享年65歳。
子供の頃のヒーローの一人が、ひっそりと舞台を降りた。
走・攻・守のバランスがよく、総合力に優れた選手がもてはやされ、活躍する中で、吾郎ちゃん(敢えてそう呼ぶ)のように、足が遅く、ファーストしか守れず、内角を速球でつかれると、「遠井、腰が回らない~!」とアナウンサーに言われてしまうような、今から言えば「穴の多い」選手が、それでも自分の特徴を生かして十二分に活躍できた時代、それは1970年代も前半までだっただろうか。
体型から想像するよりも、バッティングのセンスは繊細で、柔軟に左右に打ち分ける選手だった。もちろん当たればでかい。しかし、足が遅いからホームランかシングルヒット、という感じであったろうか。
引退後、何かのテレビ番組で、彼が曽根崎新地で店をやっているところを紹介していたのを観た記憶がある。
それはそれで彼に合った第二の人生だったのかも知れないが、その後はあまりマスコミに姿を現わすことはなかったように思う。
ご冥福をお祈りします。
2005 06 27 11:27 PM [悼] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
2005.03.13
さまざまな訃報
帰宅すると母が「桂文枝が死んでんて」とのたまう。
まだもう一花・・・という年齢で、大変残念なことだ。
録画しておいた"FOOT! viernes"を観ていたら、あのリヌス・ミケルスが亡くなったという。
1970年代、アヤックスのトータルフットボールを築き上げた名伯楽。クライフというスーパースターの誕生の影には、この名コーチの存在があった。20世紀最優秀コーチの称号も納得である。
かの「りんけんバンド」の照屋林賢の父上で、自らも沖縄音楽界の重鎮であった照屋林助さんの訃報もあった。
音楽と笑いを合体させ、また「コザ独立国大統領」を自称するなど、ウチナー文化の中心にい続けた人だったという。
チャンプルー文化の研究、紹介でも知られ、「りんけんバンド」の曲に歌詞を提供されていたり、たいそうアクティブな人だったようだ。
お三方のご冥福をお祈りいたします。
いずれの方も、亡くなられてその不在が大きく感じられる、そんな人たちですね。
2005 03 13 01:50 AM [悼] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2004.12.30
殺し屋、逝く
何故かついていたトラックバックでこのニュースを知りました。
驚きと共に、衝撃を受けております。
57歳というのは、私の父が亡くなったのと同じ年齢。
脳梗塞とその合併症とのこと。
囲碁はそんなに詳しい訳ではないけれど、将棋界とは隣り合った世界なので、どういう人たちが活躍しているのかぐらいはわかります。
ましてや加藤九段ぐらいの大棋士となれば・・・
そう言えば、加藤九段に絡んでは、こんなahorismを作ったこともあったのでした→こちら
そんなこともあって、個人的に、かつ勝手に、少し親しみを持っていた棋士の一人だったのでした。
しかし・・・
だって、ついこないだまでテレビにも出演されていたし、もう少し前には本因坊だった人ですよ。
信じられない・・・
今はただ、ご冥福をお祈りするだけです。
2004 12 30 11:57 PM [悼] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
2004.12.15
真夜中のドア
のヒットで知られる、歌手の松原みきさんが亡くなられたとか(亡くなられたのは10月らしいが)
44歳ですか。若い・・・
ご冥福をお祈りします。
私が東京で学生生活を送っていた頃、というと1980年代前半だが、この人はそれなりにヒット作を出していたような記憶がある。
何故か私もそこそこ好きで、LPをレンタルしてきて聴いたりしていたので、今でも「真夜中のドア」ぐらいならカラオケで歌えるだろう(というか、昔はちょくちょく歌っていたかも)
今日帰ったら、古いカセットテープでも引っくり返して聴いてみるかな。
カビにやられてなければよいが・・・
2004 12 15 12:00 PM [悼] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2004.11.23
Requiem
John Rutterの作品からピックアップしたプレイリストを聴きながら家路についていた。
JR茨木駅に着く頃、私の耳に聞こえてきたのは、"Requiem"
20世紀に書かれたレクイエムの中でも、個人的にはかなり好きな部類に属する作品である。
帰宅した時には"Pie Jesu"の途中だった。
食事をとり、ノートPCを立ち上げ、メールをチェック。
その中に、私のよく知る、とあるアクティブなネットワーカーが亡くなったことを知らせるメールがあった。
彼女が病と闘っていることは、薄々ではあるが知っていた。
いや、亡くなったと聞かされて、やっぱりそうだったか、と合点がいった、というべきか。
それでもにわかに信じられるものではない。
信じられるものではないのだが・・・
ありったけのバイタリティと笑顔を振りまいていた彼女の早すぎる晩年は、彼女を知る多くの人々に、かけがえのない思い出を残してくれたと思う。
ありがとう。
そして、どうぞ安らかに。
2004 11 23 12:18 AM [music with iPod, 悼, 日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2004.11.11
アラファトの(やっぱり)「死」

さながらシュレーディンガーの猫の如く、生きているのか、死んでいるのか、報道からはさっぱりわからなかったアラファト氏であるが(それゆえ、彼の死はこれまでカギカッコ付の「死」として表記されることが多かったのだが)、今度ばかりは、死去が確定情報となったようである。
噂レベルの話だが、毒殺説などもあって、彼の「死」を巡っては、まだまだ一波乱も二波乱も起きそうである。
そういう意味では、死去が確定した今となっても、やはり彼の死はカギカッコで括って「死」と表記せねばならないのだろう。
評価の難しい人物ではあったが、現代史において、確実に一つの大きな役割を果した人物であったことは間違いない。
どうぞ安らかに。
2004 11 11 02:09 PM [悼, 経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2004.10.27
終止符のような
詩人の川崎洋氏が亡くなったとき、「確かこの人の作品に、何かの形で接していたはず・・・」と思ったが、とっさには思い出せなかった。
つい先ほど、毎日新聞夕刊の追悼文を読んでいて、ふと、「やさしい魚」を歌ったことがあるのを思い出した。
新実徳英氏の作品というと、いかにもゲンダイオンガク、というイメージを持っていた私は、合唱作品の中でこんな親しみやすいものがあるというのを初めて知ったのだった。
特に「鳥が」の新鮮で、情感豊か、それでいて流れるようなメロディーラインは、実に魅力的である。
一方で、組曲の終わりを飾る「やさしい魚」の、少しシュールで、透き通った悲しみをたたえた世界は、言葉が音楽を凌駕しているようにも思える。
そんな川崎氏が生涯の最後に見ていた心象風景は、どんなだったのだろう。
ご冥福をお祈りします。
2004 10 27 10:20 PM [Chorus, 悼] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2004.10.11
デリダ逝く
すい臓がんで。享年74歳。
2004 10 11 12:32 PM [悼] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2004.10.07
園田高弘さん死去
動脈瘤破裂で亡くなられたそうです。享年76歳。
私が小学校から中学に上がるあたりの時期、国際的に成功している数少ない日本人ピアニストの一人が園田さんだったと記憶しています。
その頃、NHKコンサートホールなどの番組で拝見した姿が、長く印象に残っていました。
どうぞ安らかに。でも少し早すぎないですか。



















